01. インタビュー動画

02. 気仙沼に住んでいる同世代の子たちが
キラキラ輝いているように見えて、
「私もそうなりたい」と思った。

まずはお名前、年齢、御所属を教えてください。

織笠有加里です。今年で29歳になります。出身は宮城県仙台市で、いまは「気仙沼地域戦略」という会社で観光の仕事をしています。

仙台から気仙沼へはどういう経緯があって移住されたのですか?

ここに移住する前は建築関係の仕事を3年弱仙台でしていまして、その後、仕事と環境を変えたいなと思って移住を考え始めました。そんな時に気仙沼市で地域おこし協力隊の枠があることを知り、そこに応募しました。

「仕事と環境を変えたい」と思ったときに、気仙沼が候補に上がったのはどうしてだったのですか?

震災後の大学時代、2013年頃から大学の研究室のプロジェクトで気仙沼に定期的に通っていたんです。そこから就職をして社会人になってからは気仙沼を訪れる機会はなかったのですが、いざ「仕事を変えよう」と思った時に、ご縁のあった地域が私の場合は気仙沼しかなくて。気仙沼で暮らしや働き方を考えてみたいな、と思ったのがきっかけでした。

元々ご縁があったとは言え、いざ仕事を変えたり移住をするとなると様々な不安もあったと思います。当時感じていた不安や悩みなどはありましたか?

最初に転職を考えた時はネットで検索した転職サイトなどをみて自分なりに調べていたんですけど、気仙沼は仕事に関する情報が少なかったんです。本当に働くところがあるのかな?と思っていたときに「気仙沼市移住・定住支援センターMINATO」があることを知り、問い合わせてみました。担当してくださった方がUターンで気仙沼に戻ってきた方で、仕事の情報を教えてくれただけではなく「気仙沼での暮らしはこんな感じで、こういう人たちがいるよ」という部分も教えてもらえました。それで気仙沼で自分が生活しているイメージができるようになり、どんどん不安は払拭されていきました。

いよいよ転職、引っ越しが本格的に視野に入ってきたとき、最後の後押しなったポイントは何だったのでしょう?

最初移住を考えた時に、当時よく耳にしていた「この地域でこんなことをやりたい!」「地域に貢献したい!」という考え方をしていたわけではなくて…。それよりも「自分を変えたい」という想いが強かったんです。その時に、すでに気仙沼に住んでいる同世代の子たちが、私からしたらすごくキラキラ輝いているように見えて。「私もそうなりたい」と思えたことが、移住を決めるきっかけになりました

03. 「また気仙沼に来ますね」と言ってもらいたい

いまされているお仕事の内容を教えてください。

気仙沼に移住をしてからは「気仙沼地域戦略」で観光のお仕事をしています。観光といっても様々あるのですが、私は「気仙沼クルーカード」という地域内のポイントカードを使ってデータベースを作るという仕事をしています。「気仙沼クルーカード」は市内のお店を応援するカードで、いま134店舗が加盟してくれています。加盟店の皆さんと気仙沼のことを発信したり、来てくれたお客さんにどうやってより気仙沼を楽しんでもらうか、ということを考えるのがメインです。そのほかにも体験プログラムを考えたりもしていて、やっていることは色々とあります。仕事の中で、まちの事業者さんやお店の方に直接お会いしてお話をするというのが基本にあるので、働くフィールドは机ではなく、まち全体という感じです。仕事で出会うのは市内のお店の方々なので、プライベートでもよく利用させてもらっています。仕事とプライベートの行き来のなかでも新しい話が生まれて仕事に繋がっていったり、自分のやってみたいことに繋がっていったり。「働く」というフィールドがまち全体にあるのが面白いなと感じています。

そんなお仕事の中で、楽しさややりがいを感じるポイントはどこにありますか?

体験プログラムを考える仕事の中で、私自身がガイドになってお客さんを迎え入れるのではなく、実際にお客さんの前に立ってもらうのは、例えば酒蔵見学だったら酒蔵のスタッフさんや、レストランだったらお店の方です。私はあくまでそこの橋渡し役で、来てくれた人たちが色んなお店の人たちに出会うことで、気仙沼の事業者さんのファンになってほしいなという想いで仕事をしています。うまく橋渡しができて「また気仙沼に来ますね」と言ってもらいたいんです。美味しいものを食べにくるだけではなく、会いにいける人を増やすというか。それができた時はすごくやりがいを感じますし、もっともっとそういう場面を増やしていきたいなと思っています。

04. 色んな人と関わることが楽しいと思える人だと、すごく住みやすいまち

実際気仙沼に移住して働いてみて、良かったなと思う部分はどんなところですか?

まず、ご飯が美味しいです(笑)。それだけではなくて、美味しいご飯を食べさせてくれる近所の方々だったり、職場の皆さんもそうですけど、人とのつながりをすごく大切にして生業や暮らしが回っているまちだなということをすごく実感しています。その輪の中に自分も入れたことが嬉しくて。もともとこういう取材とかでお喋りできるようなタイプではなくて、わりと引っ込み思案で、そういう自分もあまり好きじゃなかったのですが、気仙沼の人たちと関わることで少しずつ自分が変わっていくというのを、暮らしの中で実感できています。自分もすごく変わったし、嬉しい変わり方だなと思っています。

逆に気仙沼での生活で、大変さを感じる部分もありますか?

まちの大きさがある程度コンパクトなので、少しお出かけしたときに街中で出会う方が仕事関係の方だったり、知り合いだったり。仕事と暮らしが密接になっている地域ではあるので、あまり変なことはできないなというのはあります(笑)。

いまお仕事以外で、気仙沼の生活で楽しいなと感じていることや打ち込んでいることはありますか?

いまのお仕事の分野は「観光」なんですけど、当時の上司が「観光の仕事はまちの良さを色んな人に自分の言葉でプレゼンすることだよ」と伝えてくれて。仕事だから、プライベートだからと分けて考えるのではなく、すべてが私の気仙沼での「暮らし」に関わってくることだと思っています。私自身が気仙沼の良いところをたくさん見つけようと思い、唐桑というエリアのまちづくり協議会で住民の方々と一緒にプロジェクトを進めていたり、周りにいるUIターンの同世代と一緒に、気仙沼に一番古くから残っている「銭湯友の湯」を盛り上げる活動も日々行なっています。

気仙沼というまちでの生活を楽しむにあたって、どんなタイプの方がフィットすると思いますか?

気仙沼のまちの人は、移住者や外の地域から来てくれた人に対して「よく来たね!」と迎え入れてくれる方が多いです。私も移住した当初は知り合いもそこまでいるわけではなかったのですが、先にUIターンしてきていた子たちが色んな場所に引っ張り出してくれて。そこで知り合った人も私にどんどん声をかけてくれたので、なるべくそういう楽しい場に顔を出すようにしていました。色んな人に出会うと、そのぶん色んな場所があることを知れたので、そういう場に積極的に出ていけたり、色んな人と関わることが楽しいと思える人だと、このまちはすごく住みやすいかなと思います。そのなかでも私が出会った人たちは、「震災もあったけどこのまちをどう楽しくしていこうか?」と考えている人たち、積極的に動いている大人が多い印象なので、そういう方々に囲まれている環境は幸せだなと感じています。

逆に、気仙沼にもっとこういう場所や要素があったら良いのに、と感じることはありますか?

いま感じている課題や、あったら良いなと思っていることはあまりなくて。たぶんそれは人と一緒に何かをするということ自体に私自身が楽しさを感じているからで、都会にあるような娯楽施設がもっとほしいとかではなく、むしろ少ない気仙沼だからこそ、色んな余白だったり「何かできるかも」と関われる部分がたくさんあると思います。色んな人と動けるから、課題のようなものはあまり感じていないです。

気仙沼というまちを語る上でどうしても外せないのが、東日本大震災の被害を受けたまちというところがあります。震災から10年、気仙沼でどんなことを感じていらっしゃいますか?

震災の時に私自身は仙台の内陸部にいたので、沿岸部の被害というものはそこまで分かっていなくて。大学生の頃、震災から1〜2年経過した時に初めて気仙沼に来た時、そこで出会った気仙沼の人たちはすごく力強いなと感じました。私は震災前のまちの姿や人の様子を知らずに来ているので前後の比較はできないんですけれども、震災後に私が出会った人たちは、まちが大変な状況でもどうにか楽しく頑張ろうという心意気や想いが強くて、それに引き寄せられて気仙沼に来た人もたくさんいると思います。そこで出会った人たちと、まだここで過ごしていたいなと思っています。

05. 人と人との繋がりを生み出す環境、気仙沼

気仙沼というまちで暮らす、働く、とは織笠さんにとってどういうことですか?

気仙沼は人と人とが繋がっていて、地元の人だけではなく漁師さんや移住者たちもたくさんいて、人とのつながりは外せないんだなと思います。でも「移住したから気仙沼にずっといなさい」なんてことを言う人はいなくて。色んな人たちが流動的に、色んな形で色んな時期に入ってくるから、これからも気仙沼というまちはどんどん面白くなっていくんだろうし、そんな環境のなかに私もいたいなと思っています。

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