一般社団法人まるオフィス 三浦亜美さん

文化を大切にしつつ、
新しいチャレンジも歓迎してくれるまち

三浦亜美さん

三浦亜美さん

26歳
一般社団法人まるオフィス
宮城県気仙沼市出身、東京から移住(Uターン)、移住1年目

01. インタビュー動画

02. 東京での就職後にUターン

まずはお名前、年齢、御所属を教えてください。

三浦亜美です。年齢は今年で26歳になります。宮城県気仙沼市出身で、2021年の4月にUターンしてきました。
所属は一般社団法人まるオフィスで、教育にまつわる仕事をしています。

いまやられている仕事の内容について教えてください。

メインでやっているのは、気仙沼市から委任を受けた「探究学習コーディネーター」という肩書きで、主に中学校の総合的な学習の授業に入ってサポートをする仕事をしています。
それ以外にも、気仙沼の「高校生マイプロジェクトアワード」というプログラムが1年に1回開催されているので、そこで高校生のマイプラン、やりたいことに伴走し、最終報告会のプレゼンまでサポートするということをやっています。

三浦さんは気仙沼のご出身ということですが、高校卒業後から今に至るまで、どのような経緯があったのか教えてください。

気仙沼高校を卒業して、大学進学のために気仙沼を出ました。静岡県にある大学で4年間過ごし、その後は東京で3年間、ホテルのロビーなどで使われている空間アロマの販売、営業をしている会社に勤めていました。社会人4年目の年になるタイミングで気仙沼に帰ってきました。

3年間東京で働いていて、気仙沼へUターンをされたということでしたが、Uターンはいつ頃から検討されていましたか?

戻ってくる1年くらい前からUターンを検討していました。色んな理由があったのですが、もともと「いつかは帰りたい」と思ってはいつつ、それがいつなのかは自分のなかでもはっきりしていませんでした。
そんななかで2020年から新型コロナウイルスの影響が本格化してきて、なかなか帰省できなかったり、行きたい場所に行けないという状況が出てきて。そういう状況に置かれた時に「自分って改めて気仙沼のことが好きなんだな」ということを実感したんです。自由に気仙沼を行き来したいし、なんならこのタイミングでもう一度気仙沼に住みたいと思うようになりました。
コロナで自分自身もなかなか外出できない苦しさもあり、まちとしてもネガティブな雰囲気があったなかで、2021年からは朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」の放送も始まり、SNS等でも気仙沼の面白そうな情報などもたくさん目にするようになったので、このタイミングでUターンをしようと思いました。

Uターンを検討しているなかで、三浦さんは最初どのように行動されましたか?

すでに気仙沼に住んでいる同級生に連絡をして「そろそろUターンしたいと思ってる」という相談をしました。「最近の気仙沼どう?」「どんな面白いことがある?」など、気仙沼にいる人に最近の情報も含めて教えてもらうところから始めました。

地元といえども、仕事を変えて気仙沼に戻ってくるということで、様々な不安や悩みがあったのではないかと思いますがいかがですか?

東京の仕事が嫌になって気仙沼にUターンしようと思ったわけではなく、できれば東京の仕事も兼業で継続しながら、気仙沼に拠点を移してリモートワークも同時にできないかと考えていました。前職の会社ともその部分の合意は取れたのですが、本当に気仙沼でそんな働き方ができるのかな?という不安はありました。それに加えて、昔から漠然と考えていた「いつか気仙沼に戻ってきたい」という想いが、実際に戻ってきた時に「こんなはずじゃなかった」とならないか、という不安もありました。

そのような不安もあるなかで、Uターンの決め手となったのは何だったのでしょう?

最初は地元にいる同級生たちに相談をしていましたが、いま気仙沼にどんな仕事があって、どんな生活ができるのかをもっと幅広く知りたいと思い「移住定住支援センターMINATO」に相談をしました。
当時はまだ東京に住んでいたのでオンラインで相談を受けてもらい、仕事の紹介もしてもらっていて、最終的には「来年度から教育の枠で募集が始まる」ということを教えてもらい、Uターンを決めました。
仕事の情報を教えてもらえたのが大きかったです。

03. 気仙沼での働き方にも少しずつ変化が起きている

実際に帰ってきてみて、三浦さんの中でどんな変化がありましたか?

最初はリモートでの兼業もうまくいっていたなと思います。けれど気仙沼に帰ってきて数ヶ月が経ち、気仙沼でも色んな人と出会ったり、仕事の感覚を掴んできたときに、リモートで兼業をするのではなく、徐々に気仙沼での仕事に絞っていこうと考えるようになりました。
地元にいる人や企業のことはもともと何となく知っていたつもりで、Uターン前もそういった皆さんと関わって仕事をしていくんだろうなというざっくりとしたイメージはしていましたが、実際に帰ってきてみたら、新しく気仙沼に入ってきてくれている移住者の人たちも含め、自分がまだまだ知らない気仙沼の一面や気仙沼の人たちとたくさん出会えました。毎日気仙沼にいながら「はじめまして」がたくさんあって、そういう皆さんと関わって一緒に仕事をすることが、想像していた以上に楽しい日々です。
もともと「まちのために」という想いだけで帰ってきたわけではなかったですが、お世話になったまちを地元出身の自分達の世代がこれから担っていくんだという気負いはあったと思います。けれどいざUターンしてきてから出会う人たちは、地元出身の方だけではなく移住してきてくれた人たちも多くて。地元出身者だからどうこうは関係なく、気仙沼が好きな人たちと、気仙沼のことを楽しくやっていけるんだなと思えたのは実際にUターンしてきてからですし、たくさんの人との出会いがあったからこそだろうなと思います。

高校時代、三浦さん自身は気仙沼で就職をするということは検討されていましたか?

高校時代から気仙沼のことはすごく好きで、大学進学で一度気仙沼は出るけれども、いつかは帰ってきたいと思っていました。ですが、いざ「気仙沼に帰る」ということを考えた時に、何者になって帰ってくるのか、戻ってきてどんな仕事に就きたいかというイメージは正直そこまでできていませんでした。
今は様々なところで気仙沼の企業情報を知ることができますし、気仙沼に住みながら東京の仕事をリモートで行うという新しい選択肢も出てきています。
私が働いている「探究学習コーディネーター」という仕事も新しくできたものなので、「気仙沼だからできない」という仕事は以前より少なくなっているんだろうなという印象があります。

前職といまの仕事とでは内容も関わる人も大きく変わったと思いますが、その辺りの大変さはどう感じていらっしゃいますか?

全然違うなとも思いつつ、似ているところもあるなと感じています。香りにまつわる仕事をしていた時も「目に見えない価値」をどう伝えるかということがポイントだったのですが、教育の仕事においても、中高生と一緒に携わるなかでゴールや正解もなく、自分がどう伝えることで彼らが変化していくのか、最終的にどうなってほしいのかという目に見えないことに挑戦している感じが結構似ているなと思っています。
そういう「見えないものの価値」が私はすごく好きだし、仕事をしていて楽しいなと感じているので、一見全然違う職種のように見えますが、似ている部分もあって、どちらも仕事をしていて楽しいなと思っています。

04. 東京に居た頃には作れなかったコミュニティ

気仙沼に帰ってきて良かったなと感じるところはありますか?

気仙沼は落ち着くし、ご飯も美味しいなということを改めて感じています。また、Uターンをしてきてはじめてお会いした人たちや同級生たちとも小さいイベントをやってみたりして楽しく過ごすこともできています。
なかなか東京に居た頃には作れなかった、年齢や職種を超えたコミュニティが気仙沼にはあるので、色んな人たちと日常的に関わることができていると実感するとき、気仙沼に帰ってきて良かったなと感じます。

逆に大変だなと感じることはありますか?

気仙沼に戻ってくるにあたって必ず必要になるなと思っていたのは、移動手段の車でした。
Uターンをしてすぐに使えるよう、気仙沼にいる色んな方に個別で連絡をして、事前に中古車を探して購入しました。

気仙沼にいる三浦さんの同級生の皆さんはどんなお仕事をされているのですか?

東京での仕事を辞めて気仙沼で再就職している人もいれば、児童施設で働いている同級生もいますし、東京での仕事を辞めて一旦リセットしたいということで気仙沼に帰ってきて、市内でできる仕事を探している人もいます。コロナのことがあって所属している会社がフルリモートになったから気仙沼に戻ってきたという同級生も何人かいて、気仙沼でそんな働き方もできるんだなということを感じています。

いまされている教育のお仕事の中で、市内企業との関わりはありますか?

まるオフィスとしては、職場体験の受け入れを通して市内の様々な企業の方々とやり取りをさせていただいています。
私自身、この仕事を通して知った企業さんも多くて、建築、水産、小売、製造、飲食など、市内にも様々な職種があるんだなということを改めて実感しています。多様な業種の企業さんが職場体験の受け入れをしてくれたり、学校へ講話にきてくださったり、授業の中で中高生のインタビューに協力してくださったりと、教育分野に関しても協力的な企業の方々が多いんだなということを感じました。
市内のとある建設業の会社だと、社内の様子を見せてくれたり、事業内容を生徒たちに伝えるだけではなく、生徒にも「みんなが感じたこの会社を表現してみて」というかたちのミッションを出してくれて、企業の方々も一緒に探究的な新しい取り組みに協力してくれたことが印象的でした。
他にも探求学習のなかで、生徒が困っていることに対して少しの時間でもリモートで話を聞いてくれたり、他の職種の方を紹介してくれたりと、色んな面で力を貸してくださる企業さんが多いのが印象的です。

05. 仕事や暮らしが直結し、循環しているまち

三浦さんから見て、気仙沼に住んでいる人はどんな人が多いと感じていますか? また、気仙沼というまちでの生活を楽しむにあたって、どんなタイプの方がフィットすると思いますか?

お祭りが好きなイメージがすごくあって、イベントやお祭りにもすごく一生懸命取り組んでいる印象があります。それが文化や伝統になって今まで続いてきたんだろうなと思います。
気仙沼は、文化や歴史、古くからまちにあるものを大事にしつつ、新しいものを生み出していく、取り組んでいく人が多いまちです。新しい出会いや生まれていく取り組みを面白がれる人だと、気仙沼をより楽しめるのではないかなと思います。

気仙沼というまちを語る上でどうしても外せないのが、東日本大震災の被害を受けたまちというところがあります。震災から10年、いま気仙沼でどんなことを感じていらっしゃいますか?

中学3年のときに震災があって、高校3年間はずっと被災地としての気仙沼を見て過ごしていました。私は当時気仙沼に来てくれていたボランティアの人たちとの出会いによって、いつかまた気仙沼に戻ってきたいと思うようになったんです。
当時は、自分も復興に携われる人間にならなきゃ、自分にもやれることを探さなきゃという使命感みたいなものを感じていました。10年経って気仙沼に戻ってきてみると、復興のためにというよりは、いまの気仙沼に向き合って、まちを想って前向きに取り組んでいる方が多い印象があります。
震災の文脈だけではなく、気仙沼はすごく素敵なまちになったなと思います。

気仙沼というまちで暮らす、働く、とは三浦さんにとってどういうことですか?

気仙沼は自分の仕事や暮らしがまちに直結して、循環するところだなと思っています。
循環する実感はある一方でそれに縛られるという感じはなく、結構自由だなとも思っていて。だからこそ私も気仙沼で自由に働いて、自由に暮らして、それが少なからずまちの何かに関わっている、それをもっともっと良くするために、これから色んな仲間たちともっと発展させていってその循環を次の世代、中高生たちにもつなげていけるようにしていきたいなと思っています。

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