グラフィックデザイナー 志田淳さん

まちでの出会いをきっかけに、
より良いものを作り出す

志田淳さん

志田淳さん

30歳
グラフィックデザイナー
宮城県気仙沼市出身、東京から移住(Uターン)、移住8年目

01. インタビュー動画

02. 何事もなかったように就職をする
イメージができなかった

まずはお名前、年齢、御所属を教えてください。

志田淳です。30歳です。フリーランスのグラフィックデザイナーをしていまして、気仙沼のコミュニティFM「ラヂオ気仙沼」のラジオパーソナリティもしています。気仙沼は高校生まで過ごしていまして、大学進学で神奈川に出ました。大学1年生の時に東日本大震災があって、4年生で大学を卒業して、そのあとすぐ気仙沼にUターンしてきました。

もともとは関東圏で就職しようと思っていたんですか?

もともと大学に行きながらバンドをやっていて、プロを目指そうとみんなでやっていたんですけどなかなかうまくいかず、ということもありつつ就職活動もしていなかったので。大学を卒業する時に「どうしようかな?」と思ったんですけど、バンド時代に自分達のバンドのロゴやグッズのデザインをやっていたので、デザインで仕事ができないかと思って、気仙沼に帰りつつ気仙沼でデザインの仕事を始めました。

気仙沼に帰ろうと思ったきっかけは震災だったんですか?

19歳の時に震災がありまして、そこから大学に在学している3年間はだいたい月1回くらいのペースで気仙沼と神奈川を行ったり来たりしていたんですけど。実家も津波の被害があったりして、このまま何事も無かったかのように神奈川や東京で就職するというのが何かしっくりこなくて。何ができるか分かんないですけど、大学を卒業したら気仙沼に戻ろうと思っていました。
Uターンをしてきて一番最初は、実家の家業があったのでその家業を手伝いながらデザインの仕事をし始めました。最初はTシャツとかを自分でデザインして仙台のショップで売ったりしていたんですけど、だんだん、気仙沼に戻ってきてから市内で活動している人たちと関係性が出来ていく中で「みんなと一緒に何か仕事をしたいな」と思い始めて。そこでデザインのスキルが活かせたらなと思って、みんながやるイベントのチラシだったりとか、友達がお店をオープンする時はショップカードのデザインだったりをやらせてもらうようになって。徐々にそういう、所謂グラフィックデザインという仕事をもらえるようになって今に至る、といった感じです。

気仙沼に戻ってくる前に不安などはありましたか?

戻ってくる前は不安でした。やっぱり就職活動もしていないし、デザインをやっていると言っても完全に独学で見よう見まねでやっていたので、これがそのまま仕事になるとは思っていなくて。「一体何ができるのだろうか」と思いながら帰ってきた記憶があります。ただ幸いなことに実家の仕事を手伝わせてもらえていたので、実家に住みながら実家の仕事をして生活はできていたんですけど。やっぱり震災のことがあって、もちろん実家の仕事は仕事で素晴らしいと思っている一方で、自分の力で何かまちに貢献したいなという想いは、Uターンをしてきてからより強くなってきた感じはありました。なので不安はすごくたくさんあったんですけど、何とか周囲の人たち、友達や知り合いと一緒に、イベントをするだったりとか、一緒に盛り上げていくみたいな文脈の中で、僕もデザインをやりながら勉強していくというかたちで過ごしていて。デザインの場数を踏ませてくれた友人たちがいたからこそ、いま何とかデザイナーとして生活できているのかなと思います。

Uターン前の情報収集はどのようにしていましたか?

震災後3年くらいは関東で過ごしていたんですけど、当時銀座に気仙沼のアンテナショップがありまして。2階はイベントスペースで、1階は物産品が売っているというスペースがあったんですけど、そこに行くとわりと気仙沼の人たちと出会えるという機会があって。実はピースジャムの佐藤賢さんとかも、僕はその銀座のアンテナショップで最初に出会っていたりするんですよね。気仙沼にいながら東京でイベントがあったら来てくれていて、そこで色んな人とお会いして、いまの気仙沼の現状の話を聞いたりとかもあったので。関東圏にいるときも割と人と会うことで色んな情報を得ていたなという感覚はありましたし、そういう人たちの話を聞いていたからこそ「何かいままでと違う気仙沼になるんじゃないか」という予感めいたものがあったりして。人に色んなことを聞いて情報を集めていました。

Uターン直後に感じていたのはどんなことですか?

Uターンをする前は、震災前の気仙沼のイメージが僕の中ではまだ強くて。すごく風通しが悪いというか、コミュニティはコミュニティであるんだけど、交わることがないというか。結構閉塞的なイメージが震災前の気仙沼にあったんですね。それは僕が当時高校生だったから何も気仙沼のことを知らなかったということの方が大きいと思うんですけど。でも、大学で震災後過ごしていた3年間のうちに気仙沼に移住してきた人たちとの出会いもありましたし、大学時代に出会った仲間が先に気仙沼や近隣の地域にIターンとして乗り込んで行っていたこともあったので、Uターンをしてからは地元のもともとの関係性の人たちと一緒に過ごすというよりは、僕がUターンをするより先に気仙沼に入ってきてくれていた人たちと過ごすことが多かったです。その閉塞的な雰囲気が震災をきっかけに変わっていっているんだなというのは帰ってきてから感じたので、それはすごく、良かったというよりはホッとした感じはありました。なんか「生きていけそう」と思って。物理的にもコミュニティも何もないところから、震災からの3年間で色んな人たちがある程度の土台を色んな場所でつくってくれていた感じがあったので、Uターン者ながらも、気仙沼のコミュニティに飛び込みやすかった感じはあります。

Uターンをしてきて起こしたアクションは何かありますか?

人が人を紹介してくれることがいまの僕の土台になっているなと思っていて、当時出会った人たちとの関係性っていまも続いていることが多いです。たとえば、僕はco-ba KESENNUMAというシェアオフィスのコミュニティマネージャーを2021年まで3年間やっていたんですけど、コミュニティマネージャーになる前にシェアオフィスの会員として、仕事のオフィスとして使わせてもらっていて。そこでオーナーが「一緒に震災の月命日の11日にイベントをやらないか」と言ってくれて『11back』というイベントを、毎月11日にco-ba KESENNUMAでやっていました。何をするわけでもなく場所を開いておいて、震災の月命日に集えるようにしていたというイベントで、5年間やっていたんですけど。5年間毎月イベントをやり続けたことで色んな人と出会うきっかけになって、そこで出会った人たちと色んな仕事をしていくことにもなりましたし、そういうきっかけがあってラジオの仕事が始まったりもあったので、人と出会うことがそのまま情報収集にもなっていたし、関係性を作っていけるコミュニティになっていったなという感覚はすごくあります。

03. Uターン後の出会いで今がある

気仙沼に戻ってきて良かったと思うことはありますか?

今がすごく楽しく生活しつつ仕事もできているので、それが全てかなとも思うんですけど。帰ってきて色んな人と出会って、色んな人と友達になって、自分も含めて色んな人たちがこの場所で挑戦をしようとしていて。それを一緒に、仕事として出来ているのが僕はすごく嬉しいなと思っています。これって多分、気仙沼に住んでいるからこそ感じられることなんじゃないかなと思っていて、日々変化していくまちの微妙な温度感とかを生活しながら感じられているというのは、戻ってきて、生活の拠点を気仙沼にして良かったところだなと思っています。
気仙沼で色んな人と関わるなかでみんなが何かに常に挑戦しようとしていて、僕自身も帰ってきた時に「デザイナーとして生きていきたい」と思っていたので。みんなの挑戦と、僕が挑戦したいことが一緒になって、デザインの仕事でちょっとお手伝いをさせてもらうという環境ができているのは、周囲の人にも恵まれているからこそなんだろうなと思います。
2014年にUターンをしてきたのでもう8年になりますが、いまでもデザインの仕事をし続けられているのは、帰ってきて色んな人と関係性ができたからこそだなと思っています。

逆につまづいたことはありますか?

デザインの仕事で言うと、僕はデザインの教育を受けていなくて独学で何とかやってきているんですけど、それゆえに「こういうものを作りたい」って思うものがうまく表現できないとか、「たぶん期待に沿えなかったんだろうな」っていう仕事もいくつもあって。そんななかでやりながら勉強して、何とか食らいついているという感じです。
これが、デザインをしたものをプリントしてTシャツにして販売するという1人でやるスタイルだけだったらここまで続けられていないと思うんですけど。みんなと一緒に悩んで一個のものを作っていく、その一つのピースとしてデザインがあるという感覚で、周りの仲間がいること、プロジェクトごとのチームがあるということが、ここまで続けてこられた要因なのかなと思います。「みんなが頑張ってるから、自分ももっと期待以上のものを作れるようになろう」と思ってやってこれている気がします。

気仙沼にUターンしてきて変化したことがあれば教えてください。

たぶん今まで自分は消費者意識が強かったと思うんです。出来たものに参加するとか、あるものを使っていくという感じだったんですけど、その観点でまちにいると「やれスポッチャがない」みたいな話になっちゃうんですけど。震災で被害を受けたこのまちを、マイナスからどうゼロにしてさらにそこから発展させていこうか、復興させていこうかということを、周りにいる人たちはみんな、僕も含めて本当に毎日本気で考えていた10年だったので。いつの間にか消費をするというよりも、作っていくとか仕掛けていくという思考になっていたなと思います。そういう意味で言うとこのまちはまだまだ余白があるし、余白があるからこそ、自分が活躍できるのではないか?という領域を自分で作っていけるとか、みんなと一緒に仕掛けていけるところがあるので、これは気仙沼にUターンしていなかったら生まれていない感覚だったんじゃないかなと思います。余白があるからこそチャレンジもしやすいと思うし、無いからこそ自分達で作っていこうというマインドになってきたんじゃないかなと。それは気仙沼が好きだからこそやっている部分ももちろんあるし、「嫌だな」と思うところがあるからこそ変えていこうと思うところもあるんじゃないかなと思います。「100%気仙沼が好きです」と言えるかどうかというと僕自身はまだ微妙なところだなと思っていて、一方で、気仙沼にいる「人」だったり、僕の周りにいてくれている人たち、気仙沼にいながら常にチャレンジをしている人たちのことは好きだなと思います。そういう人たちと一緒に仕事をしていく、余白のなかに飛び込んで新しいことをつくっていく、チャレンジをしていくというのは続いていくだろうなとは思います。

04. 小さなきっかけからコミュニティが広がるまち

気仙沼での大切な出会いがあれば教えてください。

大切な出会いはすごくたくさんあって、色んな人たちと出会えたからこそいまの自分がいるなと思うことが多々あります。Uターンしたての頃でいうとco-ba KESENNUMAのオーナーとは、彼と一緒に仕事をすることで僕の気仙沼のコミュニティがどんどん広がっていった感じもありますし、ラジオの仕事を通して色んなゲストの人たちとの出会いもありますし。去年は気仙沼市のふるさと納税の仕事で、市内の事業者さんを回ってインタビューをさせてもらったりとか、商品の写真撮影のディレクションだったり、それを使ってバナーのデザインをさせてもらったんですけど、そこで初めてと言ってもいいくらい気仙沼の事業者さんたちのお話を伺うことができて。みなさん本当にプライドを持って自社の製品を作られていたりお仕事をされているんだなということをしっかりと聞くことができたので、帰ってきて8年になりますけど、まだまだ僕はこのまちのことを全然知らないなとも思いましたし、こういう想いで仕事をしてくれている人たちがたくさんいる気仙沼は希望しかないなと思いました。

気仙沼にフィットしそうなのはどんなタイプ人だと思いますか?

気仙沼の人たちはオープンな人が多くて。例えば飲み屋さんで初めて会ったりしても気兼ねなく仲良くしてくれる人たちが多い気がするんです。そういう小さいきっかけからどんどんまちの中のコミュニティが広がっていったりもします。何か興味を持って接すると、1聞くと10答えてくれるような気さくな人が多いまちだと思うので、人と話すのが好きな人は気仙沼は合っていると思います。気仙沼で暮らして働いていると「どこどこの会社の〇〇さん」みたいな、個人の名前、会社の名前、やっていることが常に一緒にあるような気がするので、あえて隠すこともないがゆえにオープンで話をしてくれている気がします。それは地域柄なのかなと思いますね。

地域に対して感じている課題感は何かありますか?

地域としての課題と言い切れるかは分からないですけど、デザインの仕事をしていて感じるのは、まだまだデザインが持つ意味が浸透していないんだなということは日々仕事をしながら感じていて。自社でやろうと思えばできることではあるんですけど、より良いデザインというか、せっかく良いものがあるのにそれが伝わるべき人に伝わっていないという状況がよくあるなと思っています。そこに『通訳』として入って、伝えるべき人にちゃんと伝えるスキルがあるのがデザイナーだと思うので、デザインが持つ本質的な意味や価値が、もうちょっと浸透していけばいいなと思うし、それを浸透させるためにまだまだ頑張っていきたいなと思います。

気仙沼というまちで暮らす、働く、とは志田さんにとってどういうことですか?

生活と働くことがすごく密接な地域だなと思っていて。例えば仕事じゃない時間に、飲みにいったりとかでもいいんですけど、そういう場でまた人と出会って「実はこういうことを考えているんだよね」みたいな話をしてもらって仕事になっていったりもします。僕も実際、改めてアポイントを取って人に会ってお願いすることで生まれた仕事よりも、まちなかで出会って立ち話から「実は…」ということでお話をして仕事になっていくこともたくさんあったりするので、いい意味で、暮らすと働くが近くて、切っても切り離せない、かつ、みんながわりとそれを楽しんでいるんじゃないかなと思います。それをいきいきと楽しんで過ごしている地域なんじゃないかなと。僕も人との出会いを大切にしながら、出会う人たちと、より良いものを作っていきたいなと思っています。

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